先週の土曜日に、朝一で見てきた!
ブログパーツがあった タイプを診断できる。
診断してみた。 ヒース・レジャーが出るまでやった。出たけどひどいw
この映画は、たぶん何度も見返す映画になると思う。
テリー・ギリアムらしくてよかった。
なんとなく、似たような雰囲気のものをティム・バートンも作りそうだけど
ティム・バートンだと甘すぎて刺激が足りないものになりそうだ。
頭の中でずっとフィッシャー・キングを思いだしていた。
今フィッシャー・キングを見たら、きっと古臭いと思う。携帯もないし、時代の匂いも違うはず。
でもこの映画は、そのフィッシャー・キングを、そのまま現代に持ってきたらどうなるか、
も描いているような気がしてならない。
あぁもう一回見に行こうかなぁ。見たい。浸りたい。
以下、ネタバレ含みます。
まずよかったのは世界観。
まずあの汚い感じが大事だ。
冒頭の大道芸のシーンから引き込まれた。
現代にそぐわない、古臭い大道芸。干からびた匂いさえする。
ていうかDr、最初はほんとに人形かと思ったもんw
(で、個人的には、あのボロボロの、生活の全てが詰まった舞台兼生活車がヤバイ)
まさかあのDr.が本物の力を持っているわけないし、本当に鏡が機能するわけないだろう、
と誰もが思い、同情するか、見下している。嘲笑の的にもなる。
しかし、Dr.は本物だし、鏡も本物だ。
鏡の中は、入った人の心の世界が広がっている。
そこが、とりあえずまず基本的なツボ。
社会的に落ちぶれてると思われてる人たちがほんとはすごい力を持っている、みたいな。
それから、
Dr。
ピュアさと、悪魔に易々と乗せられてしまう誘惑に対する弱さが同居しているのが素晴らしい。
だって、悪魔来ただけで、心躍ってる様子が目によく現れてるしw(平静を装おうとしているところがまたいい)
次。
Dr.の娘。
大道芸の衣装は下品でちょっといやらしい。
でも、Dr.の娘はまだ幼いのでなんというか、
いやらしい下品さでなかったりするのが魅力だ。
でも逆に鏡の世界できれいな衣装を着ていると、
めちゃくちゃ美しいスタイル、なのに童顔だからむしろいやらしいのが魅力になっちゃう。
一体どうしたらいいんだw
どっちにしたって魅力的。
さらに、彼女は、見た目だけでなく演技でもその両面を演じて見せてくれた。
あれって、なかなかできないんじゃないかと思うんだけど。
これが演技デビューのモデルさんらしいけど、ほんと感動したわ。
次。
悪魔。
なんか、おいしい役だよなー悪魔は。
いかにも怪しい、危ないオッサン。でもなんか妙にカッコイイ。
せこかったりずるかったり怖かったりもするけど
悪魔の方も実は乗りのいいDrが大好きのようで、なんかすごく楽しそうなんだよね。
純粋に賭けを楽しんでいるw
で、トニー。
最初は謎のハングドマンだが(あ…ハングドマンってペルソナ3だと刑死者って呼んでるアルカナか)
助けてもらって元気になると、軽妙な話術で舞台にあっという間に人を集め始める。
その様子は、汚く這い蹲るように実直に生きてきたDr達と実に対照的に
過去には慈善活動を行っていたというが、飛ぶようにふわふわと軽快で魅力的だけどインチキくさい。
つまり、トニーは、見かけは華やかでも実はただのろくでもない人間がいる、というのを象徴している。
しかもトニーは、おそらく相当あくどいことをしてきた上に、特技は「ハングドマン」。
愛用の笛を使い、首をつられても死なない術を持っている。
あの感じだと、笛を使ったのは一度や二度じゃなさそうだった(汗
トニー役はヒース・レジャー。
こういう役、ほんと似合う。
ブロークバック・マウンテンのモゴモゴしたしゃべり方と
あの不器用な生き方は思い出すだけでも泣きそうになるけど
まったく別人のように、口がうまくて、魅力的で、老若男女に好かれる、というか煙に巻いて丸め込むトニー。
いいなぁ。ヒース・レジャー。この映画で見納め。
自分でびっくりしたのは、
「(500)日のサマー」を見たとき、主演の男の子の目元がヒース・レジャーに似てて
ヒースを思い出しただけで泣きそうになっていたのに
Dr.パルナサスの鏡では、本物のヒースが出てるにもかかわらず、一切そういうこと考えなかったこと。
映画としておもしろかったので、そういうことに考えを巡らせる隙なんか与えてくれなかった。
それはやっぱ、すごいなーって。
(500)日のサマーも、面白かったんだけどね。
最後に。
この映画の一番好きなところ。
みんな、ファンタジーって軽く見てる。
今でこそハリポタとか指輪とか知名度はあるけど、まだファンタジーは子供のものって思ってる人が多い。
(ハリー・ポッターは軟派だと思うが。)
だけど、ファンタジーって、決して子供のためのものだけじゃない。
ファンタジーと現実は裏表なのか、地続きなのかわからないけど、
(そもそもファンタジーが存在したらそれも現実になるではないのか?という疑問はあるけど)
なんにせよ日常に溢れてるものの「はず」。
ちゃんとアンテナを張っていれば
例えばある日家のドアを開いたら別の世界に通じてしまうことがきっとあると信じてるし、期待してる。
でも大人になるにつれ、そんなバカなことがおきるわけない、と考えるようになって
アンテナを張ることを忘れてしまうから、それ以来、現実しか見ないようになる。
それって、すごくもったいないことだと思う。
だってただアンテナを張り続けるだけで、素晴らしい経験が出来る可能性ができるのに
自分からその可能性を0にしてしまうんだから。
私だったら、たとえ0.000000000000001%しか可能性がないとしても、0%でない限り信じ続ける。
この映画は、そんな私みたいな人間に、擬似的な幸せと自信と勇気を与えてくれるわけで。
まぁ、フィッシャー・キングもそうなんだけれども。
ただ、テリー・ギリアムなので、固く構えてしまうと楽しめない
結構ブラックなユーモアたっぷりだからそれを楽しめるくらい余裕を持って見ないともったいない。
これがヒース・レジャーの遺作になったことはすごく悲しいけれど
ブロークバック・マウンテンでもダークナイトでもなく、
この映画でよかった、と言うこともできる映画で、よかった。